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 あの子のハガキ

 
 ON THE ROAD
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あの時、私はどんな思いであなたへ絵ハガキを綴っていたのでしょうか?
一日の終わりに、部屋のベッドで両肘ついて、そのハガキを書いていました。
下書きもなければ、手直しもない、湧きあがった思いそのままを書き、その日の感情で文字が歪んでいることもあったはず。
あなたは届いたハガキを両面スキャンし、内容を手打ちするという手間のかかる作業をあの旅社のリビングで、きっといつもの焼酎片手にして下さったのかなと思うと感謝でいっぱいです。こうして改めて眺めてみると、新たに様々な思いが湧きあがってきました。
どうもありがとう。

ねぇ、aaghさん、どれほどインターネットが進化しても、人の手書きによる手紙以上にはならないような気がします。それは目には見えない、行間だったり、文字の揺れだったり、言葉にならない言葉はきっと、人の手でないと伝えることはできないように神様はしたのだと思います。

 aaghさん

天国の住み心地はいかがですか?
初めて、Y君に連れられて市ヶ谷のよし田で会った日のことを思い出しています。

その日の私の日記のタイトルは『マジカルミステリーツアー』でしたよ。忘れもしないこの日は、7月4日『アメリカ独立記念日』でしたね。上の写真は旅社の2階の窓から見た景色です。以下その日の日記抜粋します。

 

ホームページを始めて3年 
ようやく旅サイトらしくなってきたかなぁって思えるようになった 
この日初めてオフ会に参加。場所は市ヶ谷の老舗鶏料理店
  
なんだか、とっても不思議だった 
だって、いつもPCの画面に出て来る囁きが耳に響いてきたからだ 
みんなそこで生きてる人なんだな。って当たり前のことを思った 
その場のノリで、深夜の首都高速をドライブした 
吸い込まれるようなイルミネーションは、幻想的かつ魅惑的だった 
辿り着いた館はどこか懐かしいような匂いが鼻を掠めた 
アーティスティックの欠片があちこちに散らばっていた 
居心地の良い空間だった 
 


僕たち私たちはメタル線を通して、きっとそれぞれの身近にいる人よりもたくさんの言葉を交わし、それぞれの思いを共有してきたように思います。その風景をaaghさんは『幻影の旅社』とよくおっしゃられてましたね。その旅社のURLにはいつも『
untitled』がついていたのを私は知っていましたよ。そして、それが偶然で始まり必然の意味を持っていたということも。

『我孫子亜細亜旅社』には多くのバックパッカーが集まってきました。「楽宮旅社の掲示板』では、優しい言葉だけではなく激しく討論になったこともありました。あなたはいつでも『正義の味方』ではなく、『弱者の味方』を貫き通してましたね。そこがちょっぴりジェラシーでもあり納得のいかないところでもあったんだよ。と今伝えておきます(笑)

旅社にひとりづつ集まったように、天国への階段を上る日がそれぞれに訪れるでしょう。私達が迷子にならないように、先に旅立ったあなたは旅社の看板を掲げ、リビングには伝説のガスストーブを灯し、待っていて下さい。

                                                          おーかちん
PS:スージーには天国で会えましたか?



 
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